にむ院長紹介
1.にむ院長自己紹介&趣味などもろもろ
2.にむ院長の業績

みなさんこんにちは。はじめまして。二村浩史(にむらひろし)と言います。松村総合病院から引き続き来ていただいている方にも改めて自己紹介させていただきます。
このたび、令和3年2021年4月1日に、ここいわき市平上荒川で甲状腺と消化器の専門クリニックを開院することにしました。名前もそのまんまで、「にむら甲状腺と消化器クリニック」です。エイプリルフールですが、本当に開院しますのでよろしくお願いいたします。
ぼくは、1962年昭和37年2月14日、福岡県田川市後藤寺で生まれました。家は曾祖父から代々写真館を経営しており、父で三代目でしたがぼくと弟は医師を目指しました。(弟は現在福岡大学筑紫病院の病理で教授をしています。間違いのない診断をするので彼に当クリニックの内視鏡生検病理診断をお願いしております。)
田川市立後藤寺小学校、私立明治学園中学校、福岡県立小倉高校を卒業して、東京慈恵会医科大学に入学しました。大学在学中はラグビー部、相撲部、美術部に所属して、運動部長をやったりして学生生活を満喫していました。そんなわけで1年留年も経験しました。おかげで友達が2倍になりました。
昭和62年に卒業し国家試験合格後、当時治りにくい病気の代表だったがんの治療をしたくて慈恵医大外科に入局しました。その後大学病院でもっぱら胃癌ばかりにかかわっていました。センチネルノードナビゲーション手術という当時新しい臨床研究にもけりがついて、大学を辞めて一臨床医としてやっていきたいと思った時、今から13年前になりますが、松村総合病院におられる慈恵医大の先輩の平井勝也先生にいわきにこないかと誘われました。しかし、すでに甲状腺専門病院で働く約束をした後でしたので、結局いわき市への赴任はその2年後の11年前になりました。
大学病院では20年間胃癌の外科治療に専念していて、内視鏡診断、外科治療、病理診断、術後フォロー、外科医の教育指導までかなり専門的にやっておりました。毎週学会発表(当時の科研費の報告書にも書きましたが、1年間で48回も発表しています。科研費がもらえる前は、お金がなくて貯金を切り崩して発表していました。われながらすごくエネルギッシュだったと思います。おかげで全国に胃癌の外科医仲間がたくさんできました)して、これ以上のいい治療は出来ないと自分なりに自負していたので、大学病院を辞めたらレベルを落としてまで胃癌治療をするのがいやで(先進医療でしたので市中病院ではできない治療でした)全く新しい分野でやっていきたいと思っていたところ、偶然甲状腺専門病院金地病院理事長の山田哲先生にこないかと誘っていただきました。僕が慈恵医大病院の研修医の時にお世話になった先生です。研修医以来の事でしたし分野が違うので正直驚きましたが、これも何かのご縁だろうと思って、それまで全く触れていなかった「甲状腺」という疾患についてかかわることになりました。2年間、貪欲に甲状腺と副甲状腺の勉強をさせてもらって、手術も2年で200例近くたずさわることができ、珍しい症例は学会発表、論文にしたりして、早々に日本甲状腺外科学会(現日本内分泌外科学会)の専門医をとることができました。山田哲理事長には合併症をつくらない手術を教えていただき、また山田恵美子院長には甲状腺の内科をしっかり教えていただき、深く感謝しています。
当時は8年くらいいわき市で働いたら、ドクターコトーのように離島の無医村(奄美大島です。現在慈恵医大ラグビー部の後輩が奄美大島大和村唯一の診療所で一人で医療をしています。)で医者をしたいなと考えていました。そのため、松村総合病院では自分の過去の専門をいっさい宣伝せずにいましたので、いまだに僕が胃癌の専門だったことを知らない看護師もいます。もちろん紹介をしてくださる開業の先生方や患者さんもそうだと思います。
いわき市にきて翌年に東日本大震災が起こりました。そして福島第1原発の爆発事故が起こりました。自分が甲状腺の専門医だったことから、なにかこれも運命なのかなと感じて、離島ではなく、甲状腺に関しては無医村に近いいわき市で専門医としてやっていこうと思うようになりました。外科のみならず内科的にも甲状腺の専門医にならなければと感じていたので、改めて勉強をして日本甲状腺学会の専門医試験を受けて資格をとりました。松村総合病院では、甲状腺の内科・外科、消化器の内科・外科としてやってまいりました。自分で言うのもなんですが、こういう医者はあんまりいないと思います。
今回一緒に開業することになった看護師のひるちゃんと出会ったのがちょうどその頃です。彼女はもともと脳神経系やICUや救命救急などの看護師をしていましたが、外科に配属となり知り合いました。新しい分野の消化器と甲状腺にたずさわることになり、彼女にとっても大変だったろうと思います。そして、外来のみならず内視鏡検査、手術にも助手として参加して、毎日勉強をして日本消化器内視鏡学会認定消化器内視鏡技師の試験を受けてその資格を取り、福島県立医科大学に何度も通って厚労省認定特定行為看護師研修(ろう孔管理関連・創部ドレーン管理関連)も取得しました。その上外来では患者さんの話に耳を傾けるとても優しい看護師です。今後は、消化器外科手術はぼくよりいい手術をする後輩にまかせて、じっくりと診療するためには開業するしかないなと感じていました。そのためにはひるちゃんの力が必要であり、一緒に開業することになりました。
水曜日を休診として、産業医活動のほか他院で手術をやっていく予定です。甲状腺の手術は、水曜日の午後にひるちゃんと常磐病院で手術をすることになりました。常磐病院で手術をする理由は、今後いわき市で甲状腺の手術ができる医師を育てる必要があるからです。一緒に手術をする尾崎章彦先生は、偶然ですが福岡県出身で、しかもぼくの中学校の後輩でした。これもなにかのご縁を感じます。
甲状腺術後のドレーン抜去は、特定行為でひるちゃんができるため、退院した日にクリニックで抜去します。また、内視鏡的胃瘻造設(PEG)は必要な時に、当クリニックで外来PEGをひるちゃんと引き続き行う予定です。胃瘻交換は特定行為でひるちゃんができるため、クリニックでやっていきます。松村総合病院では胃や大腸の内視鏡検査は木曜日のみでしたが、当クリニックではほぼ毎日やれることになりました。また、福島県民健康調査甲状腺エコー検査は、松村総合病院ではぼくの都合もあり木曜日のみでしたが、第4週土曜日午前の診療は休診にしてこのエコー検査のみとすることにしました。
スタッフはみんな仲良しで信頼している素晴らしい仲間です。そんな仲間と開院する事が出来て、本当によかったです。感謝しております。
大学時代のラグビー部の監督で、大好きだった故久富冲先生から教わった「give and give」の精神で、いい診療をしてたくさんの方に喜んでいただけるクリニックにしたいと思っています。専門外のことで自分よりもいい診療が必要と感じたら、躊躇せずその分野の専門医に紹介します。自分が患者だったらどうやってほしいかを考えながらやっていきたいと思います。元気なうちは末永くやって行けたらと思っておりますのでどうぞよろしくお願いいたします。
2)にむ院長趣味あれこれ
お時間のある方は読んでやってください。
音楽鑑賞
何でも聴きますが、特に70年代のロック、ブラジル音楽、ジャズ、沖縄民謡はめちゃくちゃ詳しいです。1960年後半から70年代のロックや、最初のサンバ録音がされた1917年以降2000年位までのブラジル音楽を語らせたら、誰にも負けない自信があります。レコードやCDを山ほど持っています。
ちなみに好きなアーティストベスト5を強いてあげるとすれば、ロックではレッドツェッペリン、ブラジル音楽ではカエターノ・ヴェローゾ、快適音楽ではギターデュオのゴンチチ、ジャズではパット・メセニー、沖縄民謡では嘉手苅林昌です。ぼくの音楽変遷、ブラジル音楽のオススメ動画、パットメセニーについて書いたものを添付しました。興味がある方は是非観てくださいね。クリニックではゴンチチをバックに流す予定です。
・音楽変遷
(それぞれクリックしてみてください。)
音楽ボランティア
いわきサンバっぽい音楽隊「POI(ポイ)」で施設の方々と昭和歌謡をサンバのリズムに合わせて歌ってます。サンバの楽器の大太鼓スルドの演奏が大好きです。
新型コロナウイルスのために今はお休みしていますが、開院して落ち着いたらまた再開するつもりです。
サンバは30年位はまっていて、大学病院時代は浅草のバルバロスという老舗チームに所属していました。いわきにきてからもアカデミアサンバいわきベレーザという本格的なサンバチームを結成しましたが、方向性をもっとピュアにボランティアとしてやりたいと思って、音楽ボランティア専門チーム「ポイ」を結成しました。サンバっぽい音楽という意味でポイと名付けました。当クリニックのスタッフ、ホームページ作成や写真撮影はすべて「ポイ」の仲間です。(ポイのHP https://www.grespoi0709.com)よかったらポイのホームページも見てね。医療法人医和生会山内クリニックさんのホームページに記事が載っているのでよかったらこれも見てくださいね。
https://iwakikai.jp/blog/1264/
おそろいのTシャツの文字は小林克也さんに書いていただきました。デザインはわたくしにむです。当クリニックのロゴはそこからとりました。色は白とオレンジがあります。

スポーツ
観戦は、ラグビー、野球が好きです。サッカーはあんまり興味がないのでほとんど観ません。
好きなチームは、ラグビー日本代表、阪神タイガースです。阪神で好きな選手を3人あげると、村山実、江夏豊、田淵幸一選手です。古いですねー。
大学病院時代、関東ラグビーフットボール協会に所属して、高校生から国際テストマッチまですべての試合に医師を派遣する医師派遣委員長をしていました。当時は日本代表や高校日本代表の菅平「やまびこ」での夏合宿の帯同ドクターもさせていただきました。元早稲田大学ラグビー部監督・日本代表監督をされていた尊敬する大西鐵之祐先生、元早稲田大学ラグビー部監督・日本代表の炎のタックラー、石塚武生さんの主治医をさせていただいてました。大西先生と日本体育大学ラグビー部元監督だった綿井永寿先生はぼくが慈恵医大在籍中にお看取りさせていただきました。写真は当時大西先生からいただいた色紙です。ぼくの宝物です。
どんなスポーツよりもラグビーは深いスポーツだと思っています。僕の大学時代のポジションはフォワード前列右のNo.3でした。縁の下の力持ちです。今の自分の生き方とか好みとか、すべてここから来ているように思います。

読書
本を読むのが大好きです。熱中しすぎて、駅のホームで電車が来たことに気づかず乗りそびれたこともあります。特に時代小説が大好きです。池波正太郎(鬼平犯科帳、剣客商売)、高田郁(みをつくし料理帖、あきない世傳・金と銀)が好きです。
以前、鎌倉仏教のことを調べて、ざっくりまとめたレポートがあるので興味のある方は読んでやってくださいね。
(クリックしてみてください。)
古い漫画もレアもの(マンガ少年とか手塚治虫や石森章太郎、白土三平などの古いコミックス)含めていまだに段ボール何個分も持っています。漫画で好きなのは、博多っ子純情(長谷川法世)、カムイ伝(白土三平)です。特に博多っ子純情は僕のバイブルです。これぞ九州男児ばいといった感じです。是非読んでほしいのですが、現在絶版です。


特技
宴会芸です。
いつでもどこでも何の躊躇もなくできます。どうすればうけるか、間も心得ているつもりなので、多分同じことを他の方がやってもぼくほどはうけないと自負してます。
代表的な持ち芸は、ぺんぎんさん(にむ改訂バージョン)、ドレミ一気の歌、シンクロナイズドスイミング剣の舞などです。ほぼオリジナルです。大学の時、友達と芸を生み出すための合宿をしたりしてました。バカなことを真剣にやってました。いい時代でしたね。
昔、東京都北区王子にあるお花見のメッカ、飛鳥山公園で北区さくらSA*KASO祭りのコンテストにサンバ仲間とシンクロナイズドスイミング剣の舞で飛び入り出演したら、優勝して10万円をゲットして一晩でぱーっとみんなで使ったことがあります。北区のケーブルテレビにその様子が放映されたらしく、翌日の大学病院での朝のカンファレンスの時に、当時の教授の青木照明先生が偶然テレビで見ていたらしく、みんなに「二村の芸も宴会芸からついにお茶の間で認められる芸に成長した」とほめてくれたのかあきれていたのかはわかりませんが、言ってくれたのを覚えています。
飲み屋でもいきなりぺんぎんさんをやって、他のお客さんに喜ばれておごってもらったり、振る舞い酒をしてもらったりはしょっちゅうありました。芸は身を助けると思っております。
一番好きな食べ物
二村家のお雑煮です。とにかくうまいです。
九州なので、あご出汁でブリ(脂身のところが好きです)・鶏肉・丸もちが入ってます。あとは大根、ニンジン、シイタケ、三つ葉です。毎日でも食べたいです。ずっと正月だったらいいのになと思います。
お酒はかなり飲めますが、実はお茶や牛乳の方が好きです。酔うと本が読めなくなるので家ではお酒はほとんど飲みません。食べ物の好き嫌いは全くありません。
3)にむ院長性格セルフ分析
血液型 A型、みずがめ座。
座右の銘
しいていえば、一期一会かな?
いいと思っているところ
人懐っこい、おひとよし、明るい、めちゃくちゃ前向き、間がわかる、話が面白い、芸達者、準備万端、行動力がある、大胆不敵、好奇心旺盛、凝り性、すべていいようにしか解釈しない、いばらない、さっぱりしている、わりとまっすぐな性格、お世辞を言わないなど。
わるいと思っているところ
おっちょこちょい、猪突猛進過ぎる、負けず嫌いすぎる、食い意地が張っている、お金に無頓着、結構ひとりよがりでわがままで自分勝手、あきっぽい、コツコツやることが苦手、結構気にする、好き嫌いが激しい(食べ物以外)、ズバッとものをいい過ぎる、自分の都合のよいように変えるずるさがある、一つの事をやりだすと周りが見えなくなるなど。
ぼくは自分で言うのはおこがましいですが、大器晩成型だと思います。小学校くらいまではただのはなたれ小僧でした(応援メッセージに幼なじみのりかちゃんがその頃の事を書いてくれてます。)今の時代ならきっとみんなについていけなかったんじゃないかと思います。後藤寺小学校の時にお世話になった担任の南崎香子先生に、「医者になりたくて医学部に入りました。」と慈恵医大に入った後ご挨拶に伺ったのですが、その後おふくろに「子供はあきらめちゃダメなんですね。」と涙ながらに語っていたそうです。まさかあのぽやんとしたはなたれ小僧が医者になるとは夢にも思っていなかったのでしょう。本当にのんびりした昭和のいい時代に育ったと感じています。中学校は私立の進学校でしたが、高校が結構バンカラな公立校だったこともあり、そのころからずうずうしい現在の自分が出来上がったように思います。
自分ではムードメーカーであり、カリスマ的なリーダーではなく、セカンド的な人間だと思っています。しかし、これまでなぜかリーダーシップをとることが多かったです。多分どんどん行動するので、ムードメーカー的なリーダーだったのかもしれません。包容力があるのかないのか、自分ではよくわかりません。ただ、自分でやった失敗に対しては逃げずに責任を取ります。みんなが楽しいと感じる事をするのが好きです。自分が持ち上げられたりするのは苦手です。他の人がえ?って思うようなことや、恥ずかしくてできないようなことも躊躇せず平気でやれますし、空気が読めるので一瞬で周りの空気を和やかにする事が出来ます。結構その辺は特技かもしれません。他の人をみていて、いまそれをやっちゃうとしらけるのにとか、いまこの瞬間ならうけるとかわかります。仲良しとはふらっと会ったりしますが、気を使ったり多くの人と群れる事はあまり好きじゃないです。
これまで、本当にすべていいように物事が進んでいっていて、失敗が失敗じゃなくてそのおかげで新たないい事に巡り合えるといったなんとも恵まれた人生を送ってきました。きっと後ろにめちゃくちゃいい守護霊のご先祖様がついてくれているんじゃないかと思います。しかし、ぼくのこと、きっとあきれてみているんだろうな。
なんにせよ、いつも人に恵まれています。感謝です。
4)にむ院長ギャラリー
実家は写真館だったのでたくさん写真があります。父は有名な写真家の秋山庄太郎さんに師事して、世界的に有名な細江英江さん、1980年に放送されたNHK連続テレビ小説「なっちゃんの写真館」の立木さん、帝国ホテル写真室の佐藤さんとは親友だったようです。父は、とても優しい表情の写真を撮っていました。
この写真は2歳年上の姉と。なにかの賞をとったそうです。ぼくは小さい時はかわいかったです。

高校3年の時、高校の文集に載ったぼくの詩です。
若いですねー。でも、この時と気持ちは全く変わっていない気がします。

大学時代の家族写真です。父、母、姉、弟と。二村写真館で。慈恵医大のラグビー部のネクタイとエンブレムを付けたブレザーを着てます。このころのぼくは引き締まってました。父はなかなかおしゃれでした。弟は8歳年下なのでまだ小さいです。

ラグビー部の時の写真です。大学2年19歳の時です。どろどろの試合でした。
ぼくが初めてトライした試合です。スクラム組む前で、かなり気合が入ってます。最前列でにらんでいるのがぼくです。ぼくには3人の尊敬する方がいます。亡くなられましたが、当時の監督で先輩だった久富冲先生は二番目に尊敬する方でした。

偶然、日本臨床外科学会のシンポジウムで弟と同じセクションでの発表があり、びっくりしたことがあります。とてもいい思い出です。右がぼくです。一番尊敬している人は、亡くなられましたが弟もお世話になった慈恵医大病理の石川栄世教授です。理想的な医師であり人格者です。大学時代、保証人になっていただいてました。石川先生のふるまいを見て、慈恵医大に入って良かったとつくづく思ったものです。


浅草サンバカーニバルでは、ぼくの所属したサンバチームのバルバロスは何度も優勝しました。ディズニーランドのカウントダウンパレードにも5年連続で出演しました。いつかまたあの怒涛のリズムに身をゆだねたいなと思ったりします。この年は雨でしたが、優勝しました。スルド(大太鼓)をたたきまくって ました。300人以上の素晴らしいサンバチームです。亡くなられましたが、当時のリーダーの高橋重雄さんは、三番目に尊敬する方でした。久富先生も高橋リーダーも「give and give」を地でやっているすばらしい人格者でした。

アカデミアサンバいわきベレーザのときは、プレジデンチとしてアリオスでいわきサンバカーニバルを開催したりしました。わざとボスっぽい感じで。なんちゃって葉巻をくわえてます。

その後、いわきサンバっぽい音楽隊「ポイ」を結成して、ボランティアで高齢者施設で一緒に昭和の歌を歌ったりしてみんなに喜ばれています。
写真はひるちゃんも一緒です。

幼なじみのりかちゃんが主催の東京の絵本の読み聴かせの会にも「ポイ」で参加して、応援団をやったりして盛り上げました。新型コロナウイルス感染が落ち着いたら、またいろんなところでボランティアがやりたいものです。
ひるちゃん上右から3人目、ゆかりさん上右端、まっきー(わかるかなー?下右端です)も一緒です。ぼくは上左端です。

1)甲状腺に関する業績
(1)論文
大腸癌甲状腺転移、頸部リンパ節転移の1例
二村浩史、二村聡、山田哲、石井新哉.内分泌外科. 2010;27(2):116-21.
副甲状腺嚢胞内出血の自然穿破により頸部皮下出血をきたした1例
二村浩史、二村聡、山田哲、山田雅恵、神森眞、清水一雄.日臨外会誌. 2010;71(7):1714-8.
甲状腺癌頸部リンパ節郭清後両側乳糜胸をきたした1例
二村浩史、清水一雄、山田哲.内分泌外科. 2009;26(3):154-7.
交換用イディアルボタン®を用いた開腹胃瘻造設の新しい工夫
二村浩史、山田雅恵、山田哲.日臨外会誌. 2009;70(8):2271-5.
穿刺吸引細胞診後に急速にび漫性甲状腺腫大をきたした腺腫様甲状腺腫の1例
二村浩史、内田豊義、神森眞、山田哲.日臨外会誌. 2009;70(2):375-9.
(2)学会発表・座長など(平成30年からの分のみ掲載)
第100回常磐医学会(令和7年2月8日 いわきにて)
甲状腺疾患に対する診療において知っていてほしいポイント
二村浩史、蛭田博恵、遠藤富三、國玉有佳理、尾崎章彦、権田憲士
第34回東北甲状腺談話会(令和5年3月25日 盛岡にて)
セッション1「亜急性甲状腺炎とバセドウ病同時発症例に対する治療」
二村浩史、蛭田博恵、遠藤富三、國玉有佳理
第98回常磐医学会(令和5年2月18日 いわきにて)
甲状腺中毒症の鑑別診断に基づく治療の重要性とそのポイント
二村浩史、蛭田博恵、遠藤富三、國玉有佳理、國玉将輝、合津千尋、北村恵智子
第98回常磐医学会(令和5年2月18日 いわきにて)
クリニックにおける特定医療行為認定看護師としての実践
蛭田博恵、二村浩史、遠藤富三、國玉有佳理、國玉将輝、合津千尋、北村恵智子
第96回常磐医学会(令和3年2月20日 いわきにて)
甲状腺外来患者の実態調査
二村浩史、蛭田博恵
第95回常磐医学会(令和2年2月8日 いわきにて)
保険診療における診療報酬からみた甲状腺バセドウ病診療の現状
二村浩史、蛭田博恵、國玉将輝
第164回日本消化器内視鏡学会東北支部例会(令和2年1月31日 仙台にて)
粘液水腫が原因と考えられた高度便秘による宿便性大腸潰瘍穿孔の1例
下山雄也、二村浩史
いわき市医師会主催 在宅医療出前講座(令和2年1月25日 いわきにて)
こんな症状も甲状腺の病気なの?
二村浩史、蛭田博恵
第81回日本臨床外科学会総会 ワークショップ24(令和元年11月16日 高知にて)
放射線ヨード不可地域におけるバセドウ病の手術適応
二村浩史、下山雄也
第52回日本内分泌外科学会学術大会(令和元年10月17日 東京にて)
一般演題(ポスター)「甲状腺3」
座長 二村浩史
第52回日本内分泌外科学会学術大会(令和元年10月17日 東京にて)
右葉のみ99mTc集積を認めマリン・レンハート症候群を疑ったバセドウ病の1例
二村浩史
第31回東北甲状腺談話会(平成31年3月9日 仙台にて)
炭酸リチウム長期投与中の甲状腺機能低下に対しLT4製剤加療中にTRAb, TSAbが自然に正常化した1例
二村浩史、蛭田博恵
第94回常磐医学会(平成31年2月16日 いわきにて)
甲状腺機能異常の診断と治療におけるピットフォール
二村浩史
第61回日本甲状腺学会学術集会(平成30年11月24日 川越にて)
炭酸リチウム長期投与中の甲状腺機能低下に対しLT4製剤加療中にTRAbが自然に正常化した1例
二村浩史、蛭田博恵、坂本文子
第51回日本甲状腺外科学会学術集会(平成30年10月26日 横浜にて)
Marine-Lenhart症候群と診断し外科治療が有用であった1例
二村浩史
第30回東北甲状腺談話会(平成30年3月17日 盛岡にて)
亜急性甲状腺炎を併発したバセドウ病の1例
二村浩史、蛭田博恵
第93回常磐医学会(平成30年2月17日 いわきにて)
開業医の先生方へ 日本甲状腺学会認定専門医としての提言
二村浩史
第93回常磐医学会(平成30年2月17日 いわきにて)
専門医からの報告
座長 二村浩史
2)消化器に関する業績
(1)代表的な臨床研究(KAKEN)
慈恵医大在籍時の後半9年間(2000-2008)は、慈恵医大内視鏡科にいらした成宮徳親先生と胃癌のセンチネルノードナビゲーションサージェリーでのオリジナルな方法の赤外線観察の臨床研究に明け暮れていました。自分の中では、すべて完結して満足したこともあって大学をでる覚悟が出来ました。当時、オリンパスメディカルシステムズ株式会社と赤外線観察腹腔鏡システムを共同開発しておりましたが、製品化には至りませんでした。しかし最近さらにグレードアップした赤外蛍光観察の腹腔鏡システムVISERA ELITE IIが販売となりました。ぼくの名前や業績はどこにもありませんが、ぼくの臨床研究の努力がこういう形で実ったんだと勝手に満足しております。使ったことはないのですが、非常にいい機器の様です。そういった思い出の詰まった臨床研究がこちらになります。
胃癌におけるICG局注赤外線腹腔鏡観察によるセンチネルリンパ節同定の研究
研究代表者 二村 浩史 (研究者番号40266664)
研究期間 (年度) 2004 – 2007
所属 2006年度 – 2007年度: 東京慈恵会医科大学, 医学部, 講師
2004年度 – 2005年度: 東京慈恵会医科大学, 医学部, 助手
研究種目 基盤研究(C)
研究分野 消化器外科学
研究機関 東京慈恵会医科大学
研究成果 79件(学会発表、論文)
(上の写真は、当時胃癌センチネルノード研究の若手外科医師をお誘いして、赤坂の串焼きろく助で集まった時のものです。ぼくは中段左です。皆さん、全国で今のわが国の胃癌治療を支えている方々で、大学教授、病院院長など大御所になられています。下の写真は2次会で六本木に行った時のものです。下の真ん中がぼくです。当時日本胃癌学会の理事長をされていた鹿児島大学の愛甲孝教授も合流して、本当に楽しいひと時でした。いい思い出になっています。)


(2)論文(英文のみ掲載)
Takahashi N, Nimura H, Fujita T, Mitsumori N, Shiraishi N, Kitano S, Satodate H, Yanaga K. Langenbecks Arch Surg. 2017 Feb;402(1):27-32.
Shida A, Mitsumori N, Nimura H, Takano Y, Iwasaki T, Fujisaki M, Takahashi N, Yanaga K. World J Gastroenterol. 2016 Sep 7;22(33):7431-9.
Takahashi N, Nimura H, Fujita T, Yamashita S, Mitsumori N, Yanaga K. BMC Surg. 2016 Jun 1;16(1):35.
Sentinel lymph node navigation surgery for early stage gastric cancer.
Mitsumori N, Nimura H, Takahashi N, Kawamura M, Aoki H, Shida A, Omura N, Yanaga K. World J Gastroenterol. 2014 May 21;20(19):5685-93.
Takahashi N, Kashimura H, Nimura H, Watanabe A, Yano K, Aoki H, Koyama T, Sasaki T, Shida A, Mitsumori N, Aoki T, Kashiwagi H, Yanaga K. Hepatogastroenterology. 2012 Jul-Aug;59(117):1478-9.
Yano K, Nimura H, Mitsumori N, Takahashi N, Kashiwagi H, Yanaga K. Gastric Cancer. 2012 Jul;15(3):287-91.
Kelder W, Nimura H, Takahashi N, Mitsumori N, van Dam GM, Yanaga K. Eur J Surg Oncol. 2010 Jun;36(6):552-8.
Ohdaira H, Nimura H, Takahashi N, Mitsumori N, Kashiwagi H, Narimiya N, Yanaga K. Surg Today. 2009;39(12):1026-31.
Detection of sentinel node by fluorescence and infrared ray imaging system in gastric cancer.
Takahashi N, Nimura H, Fujita T, Mitsumori N, Kashiwagi H, Yanaga K. Ann Surg Oncol. 2009 Jun;16(6):1720; author reply 1721.
Validity of the infrared ray method for sentinel node biopsy in gastric cancer.
Koyama T, Nimura H, Narimiya N, mori Y, Ikegami M, Mitsumori N, Yanaga K. Jikeikai Medical Journal 2009;56(4):57-62.
Sentinel node navigation surgery for early malignant tumor of duodenum.
Mitsumori N, Nimura H, Takahashi N, Watanabe A, Sasaki T, Kashiwagi H, Yanaga K. Jikeikai Medical Journal 2009;56(1):11-7.
Ohdaira H, Nimura H, Fujita T, Mitsumori N, Takahashi N, Kashiwagi H, Narimiya N, Yanaga K. Dig Surg. 2009;26(4):276-81.
Shinohara T, Kashiwagi H, Nakada K, Nimura H, Mitsumori N, Ohmura Y, Yanaga K. Hepatogastroenterology. 2007 Sep;54(78):1902-4.
Where does the first lateral pelvic lymph node receive drainage from?
Kawahara H, Nimura H, Watanabe K, Kobayashi T, Kashiwagi H, Yanaga K. Dig Surg. 2007;24(6):413-7.
Significance of preserving vagus nerve in ileocolon interposition after total gastrectomy.
Nimura H, Kashimura H, Tsutsumi J, Muhai H, Nakada K, Mitsumori N, Takayama S, Fujita T, Yanaga K. Hepatogastroenterology. 2007 Jun;54(76):1134-6.
Takahashi N, Nimura H, Aoki H, Koyama T, Mitsumori N, Aiba K, Kashiwagi H, Yanaga K. Chemotherapy. 2007;53(5):378-82.
Ohdaira H, Nimura H, Mitsumori N, Takahashi N, Kashiwagi H, Yanaga K. Gastric Cancer. 2007;10(2):117-22.
Koyama T, Tsubota A, Nariai K, Yoshikawa T, Mitsunaga M, Sumi M, Nimura H, Yanaga K, Yumoto Y, Mabashi Y, Takahashi H. Lasers Surg Med. 2007 Jan;39(1):76-82.
Koyama T, Nimura H, Kobayashi K, Marushima H, Odaira H, Kashimura H, Mitsumori N, Yanaga K. Gastric Cancer. 2006;9(3):235-9.
Expression of vascular endothelial growth factor (VEGF)-C and -D in gastric carcinoma.
Shida A, Fujioka S, Kobayashi K, Ishibashi Y, Nimura H, Mitsumori N, Yanaga K. Int J Clin Oncol. 2006 Feb;11(1):38-43.
Prognostic significance of vascular endothelial growth factor D in gastric carcinoma.
Shida A, Fujioka S, Ishibashi Y, Kobayashi K, Nimura H, Mitsumori N, Suzuki Y, Kawakami M, Urashima M, Yanaga K. World J Surg. 2005 Dec;29(12):1600-7.フォームの始まり
Nimura H, Narimiya N, Mitsumori N, Yamazaki Y, Yanaga K, Urashima M. Br J Surg. 2004 May;91(5):575-9.
Effects of medical treatment on gastric mucosal abnormalities in gastroduodenal ulcer disease.
Aoki T, Takayama S, Nimura H, Tsutsumi J. World J Surg. 2000 Mar;24(3):321-7.
Nimura H, Takayama S.J Gastroenterol. 1999 Feb;34(1):18-27.
Nimura H, Takayama S, Tsutsumi J, Aoki T, Fujisaki J, Ikegami M.
Concominant gastritis and tumorigenesis in intractable peptic ulcer patients receiving long-term H2-receptor antagonist therapy. Gastrointestinal Function: Regulation and Disturbances, vol.15, Tokyo: Excerpta Medica, Ltd; 1997:77-90.
(3)学会発表・座長など(平成30年からの分のみ掲載)
第95回常磐医学会(令和2年2月8日 いわきにて)
看護師特定行為による胃瘻交換のあり方
蛭田博恵、二村浩史
第164回日本消化器内視鏡学会東北支部例会(令和2年1月31日 仙台にて)
粘液水腫が原因と考えられた高度便秘による宿便性大腸潰瘍穿孔の1例
下山雄也、二村浩史
第17回いわき消化器癌学術講演会(令和元年5月17日 いわきにて)
市中病院で胃癌センチネルリンパ節ナビゲーション手術は可能か?
二村浩史、髙橋直人、二村聡
第82回日本消化器内視鏡技師学会(令和元年5月31日 東京にて)
看護師特定行為研修指導を考慮した胃瘻交換時合併症回避に対する教育の新たな試み
蛭田博恵、二村浩史
第162回日本消化器内視鏡学会東北支部例会(平成31年2月8日 仙台にて)
S状結腸間膜片葉性内ヘルニア嵌頓に対する腹腔鏡手術の1例
下山雄也、二村浩史
JDDW2018 メディカルスタッフプログラム2(平成30年11月3日 神戸にて)
PEG・胃瘻交換時合併症回避に対するチーム医療としての教育の推進
蛭田博恵、二村浩史
第16回いわき消化器癌学術講演会(平成30年5月25日 いわきにて)
一般講演 座長
第160回日本消化器内視鏡学会東北支部例会(平成30年2月2日 仙台にて)
Ball valve症候群をきたした低異型度高分化腺癌併存腺窩上皮型過形成性ポリープの1例
二村浩史、二村聡、栗田沙裕美、平井勝也
3)それ以外の主な業績
いわきで東日本大震災を経験しましたが、過去に阪神淡路大震災の時も医療ボランティアをした経験があったので、それに基づいて2020年日本臨床外科学会総会で自分なりの考えを発表しました。以前、阪神大震災の時の経験も論文にしました。慈恵医大の同級生の浦島充佳先生、アメリカのサンフランシスコにあるUCSF(カリフォルニア大学サンフランシスコ校)のクレイグ先生からお誘いいただいて、UCSFで東日本大震災の話をした事もありました。その時の日記があったので、そのまま載せました。また、慈恵医大外科同門会だより「慈刀会Bulletin第3号 2011年12月1日」に、僕の事が書いてありますので載せました。慈恵医大外科の仲間には本当にお世話になりました。感謝です。
(1)学会発表など
第81回日本臨床外科学会総会 総会特別企画05(令和元年11月15日 高知にて)
大規模災害時における臨床外科医の役割―阪神淡路大震災、東日本大震災を経験してー
二村浩史、牛込琢郎、田部井功、平井勝也

UCSF Departments of Psychiatry and Pediatrics and Global Health Sciences Invite you to a multidisciplinary symposium.
The Great East Japan Earthquake and Disasters: One Year Later.
Monday, March 19, 2012 Langley Porter Psychiatric Institute 401 Parnassus Avenue Room 190.
Medical Casualties from Earthquake and Tsunami.
Hiroshi NImura MD.
日記
サンフランシスコ~ワシントンDCでの記録 つれづれに 2012.3.17-24から抜粋。
今日は3月18日日曜日。日本は月曜日。
3月17日土曜日、17時台のUAとANAの混合便で一路成田からサンフランシスコへ。時差は16時間。ついたときは現地の朝10時過ぎ。日本の夜2時。レンドルミンを飲むタイミングを間違えて、結局寝れずじまい。約8時間のフライト。映画「がんばっぺ福島」をみた。フラガールの話だが、いわきでの状況を知っているだけに胸に迫った。あと、ゲームの上海をしたが、いまいちだった。しかしエコノミーはせまいな。
空港ではUCSFの鬼塚さんが出迎えてくれた。しかし、アイルランド移民のお祭りにぶつかってしまい、タクシーでホテルへ向かった僕らより2時間近く遅れて鬼塚さんの車はホテルへ。それからおいしい飲茶をごちそうになった。慈恵の学生たち5人も一緒。医者は同期の浦島、ラグビー部後輩の大村、小児科大学院の目澤。大村は最高にナイスガイ。
夕食前にベッドで爆睡。大村の電話でおきて、4人でステーキを食べた。予想に反してうまかった。浦島の話は非常に新鮮で面白かった。彼は努力家で野心家だ。でも、後輩の育成や、これから自分の向かうべきビジョンなどかなりしっかりしていてよい。ハーバードへいってからか、視点が世界に向いている。学生の部活動で「グローバルヘルス部」というのをつくったそうで、そこの学生が今回参加している。時代のなせるわざだが、彼の行動力はすばらしい。
改めてぼくとは向かっていく方向の違いを感じて有意義だった。彼はある意味ストイックであり、ぼくは快楽主義者だ。ぼくは自分が語学をものにする努力がいやで、世界に羽ばたくことができなかったこともあると思うが、ぼくの視点は個々にむかっている。彼が人類を見ているのに対してぼくは一人を見ている。それはそれでよいと自分自身は納得。一期一会の世界で僕は生きていくのだろう。方向は違うが、ある意味人間が幸せでいれるかどうかという点では同じか。
ますます、8年後の奄美での生活が具体化してくる。「にむ亭」というわがままな居酒屋をいとなみ、そのかたわらで小さな診療所、奥には3世帯くらいは泊まれる家が目に浮かぶ。儲けは度外視だが、その準備資金はまだない。8年でためられるかな。僕の交際費を切り詰めるしかないかな。「にむ亭」は、気軽に遊びにこれるコミュニティーになる。人生をのんびりすごせたらいいな。そういう意味でもわがままに生きていくと思う。いろんな人がくると思うが、今年から学ぶカウンセリングの基礎が役に立つと思っている。昨日寝る前にもってきたDVDで「かもめ食堂」をみた。以前に見たときとは視点が変わっていた。にむ亭とだぶる。
いま現地時間の朝10時。日本の朝2時。少し眠い。朝食のサラミパンやチーズを食べ過ぎた。今日は、昼過ぎに大村から連絡が入る予定。彼は2000円の格安ホテルに宿泊。たのもしい。そのあと鬼塚さんらと昼食に行き、どこかに観光にいくのか。しかし昨日昼寝している間に大村と目澤は観光に連れて行ってもらっている。まあ適当でいいや。夜はクレイグ教授の家でホームパーティ。英語で会話できないから、こういうときに英語しゃべれたらよかったなと思う。まあこれも適当に。
いま50歳。これから体力的にどんどん落ちていくし、知的にもぼけていくだろう。東京の便利さを求めていた20,30代とかわってきていている。畑を作り、犬や猫をかい、日向ぼっこをする自分の姿しか頭に浮かんでこない。死が近くなってきているのかな。自分の中のモチベーションを保つ手段をはやく見つける必要があるな。ラグビー、ちがう。サンバ、でもない。いまはまだわからないな。
大村から電話が来るまで、音楽聴いて昼寝しよっと。
明日の口演の準備は一応終了。昨日しゃべってみて、15分を10分にした。日本語で話す。通訳をお願いしてある。
では、おやすみなさい。
(写真はUCSFでの発表の後、東海岸へ移動して、ワシントンDCで参加したNational Academyの一コマ。向こうの端がぼく。右横、大村先生、浦島先生。左から4人目がクレイグ先生。)

慈刀会Bulletin第3号 (2011年12月1日)

(2)論文
災害時医療への臨床外科医の提言 第57回総会特別演題 ワークショップIII
7.阪神大震災医療ボランティア活動を体験して
二村浩史.日臨外会誌. 1996;57(4):767-8.
慈恵医大外科2の有志による阪神大震災医療ボランティア活動報告
二村浩史、高山澄夫、柳澤暁、志賀由章、樫村弘隆、黒田陽久、高岡徹、椎野豊、佐藤慶一、佐野芳史、守屋祐介、横田徳靖、永田徹、稲垣芳則、青木照明、長沼宏邦、月舘利治、草野美穂子、岩本公和、景山浩次、益子博、樫村好夫、久富冲.慈恵医大誌. 1995;110:1017-26.