にむのひとりごとアーカイブ2024年7月~2024年9月
○2024年9月29日日曜日
最近めっきり涼しい日が増えましたね。でもまた台風がポツポツできていて、困ったものです。今日は朝早起きをして、産業医をしている第一三共小名浜工場とアクティオ福島プロジェクトでの健康講話のスライド、慈恵医大福島県支部同窓会で話すスライドを作りました。産業医では生活習慣病や健診結果の見方と最新の情報を、同窓会では甲状腺の専門医ならではの話をする予定です。そのあと久々にジムに行って少し運動してきました。帰ってシャワーを浴び、パンとサラダとソーセージにスクランブルエッグで朝食にしました。先日息子が来たとき一緒に小名浜に釣りに行ったのですが、クロダイは釣れませんでした。昨日夜に電話があって、横浜の八景島で釣りをしていて、クロダイやアジやいろいろ釣れたと喜んでいました。最近ユーチューブでみたフィレンツェのシェフのとしさんに触発されて、ラグーソースを作ってみようと思い、作ってみました。としさんのレシピと息子のレシピのミックスみたいな感じでしたが、結構美味しくできました。ニョッキやブルスケッタでも美味しかったですが、ラグーパスタはかなり美味しかったです。湯本の橋本酒店で買ったタイのパッタイを息子にあげたら、見よう見まねでフォーを作ったようです。まるでベトナム料理屋で食べる味のフォーができたと言ってました。スープの作り方を聞いたので、今度ぼくも作ってみようと思います。
10月1日からにむらクリニックは医療法人になります。その変更手続きがめちゃくちゃ大変でしたが、すべてひるちゃんがやってくれたので本当に助かりました。感謝です。二夢の会(にむのかい)という名称にしました。ぼくがにむちゃんといわれていることにもかけてますが、みんなが夢を持ってお互いの夢を尊重してそれぞれの夢が叶えられますようにとの思いでつけました。
大谷選手をみていると、夢に向かってたゆまぬ努力と感謝の念で、自分の夢を叶えるだけではなくてまわりまで幸せにしています。みんながそうなればいいなと思います。夢と言えば、昔、小野洋子が「夢を持とう」という歌を歌っていました( https://www.youtube.com/watch?v=MkJkgll5bY4 )。1974年です。ラジオで聴いて、いい曲だなと思いました。歌詞が好きです。彼女はビートルズのジョン・レノンの奥さんですが、前衛芸術家、平和運動活動家でもあります。時代を先取りしすぎた人ですが、信念を持っている人だなと感じます。その前年の1973年には「女性上位万歳」という凄い曲を歌っていました( https://www.youtube.com/watch?v=MkIIJ_H-3PU )。これも歌詞がいいのですが、バックメンバーの演奏がかっこいいです。以前小泉今日子も歌ってました。パート2では歌詞ではなく叫んでいていろんな日本語が出てきますが、彼女の考えがそのまま現れていてとても面白いです( https://www.youtube.com/watch?v=aNMQDsFadMk )。彼女の曲は、耳をつんざくようなキンキン声で叫ぶ曲が多くて、前衛過ぎてまともに聴いていられない曲が多いのですが、結構いい曲もあります。ほかにも「南無妙法蓮華経」というお経そのまんまの曲もありますが、心地いいです( https://www.youtube.com/watch?v=VizxhbZG0BU )。ジョン・レノンも1975年に「No.9ドリーム(邦題 夢の夢)」という曲をリリースしました( https://www.youtube.com/watch?v=7zZsKOvXiFo )。美しくて大好きな曲です。
二夢の会、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
○2024年9月16日月曜日敬老の日
この連休は息子が卒論のインタビュー目的でいわきに来ました。お寿司屋さんにインタビューするためですが、学生なのでいわゆるなじみの寿司屋が無いため、ぼくのなじみのお店を紹介しました。昔大洗の病院で働いていたとき、毎日通っていた「浜寿司」のマスターには電話でインタビューをしたようです。いまは廃業されていて、寂しい限りです。いわきではいつも行っている「源次寿司」の大将とかっちゃんにインタビューするために今回いわき入りしました。無事にインタビューもすみました。マイナンバーカードの期限が切れていたようで、ラトブの市民係にいって手続きをしました。今回ひるちゃんに車をお借りしたので、あとは遊びに行きたいところに行こうと話していたのですが、けっこうな土砂降りの雨が降ったため、結局昼は食事以外どこにもいかず息子に美味しいイタリアンやエスニック料理を作ってもらいました。最近ぼくがはまっているイタリアのフィレンツェのとしさんのでるYouTubeの「ぼなぺTV」に茄子のパスタの動画( https://www.youtube.com/watch?v=xEWRHV3U840 )があって、凄く美味しそうだったのと源次寿司からたくさん茄子をいただいたので、是非茄子のパスタを作ってほしいとリクエストしました。息子の茄子のパスタは、あえてタマネギを入れないで、アーリオオーリオペペロンチーノと塩加減のみで作ってくれました。シンプルなのに、茄子の甘みがあってめちゃくちゃ美味しかったです。ちなみに動画でいつもとしさんが言っているので覚えたのですが、アーリオはにんにく、オーリオはオリーブオイル、ペペロンチーノは唐辛子のことです。それが朝ご飯でした。ほかにもフレッシュトマトでトマトソースを作ってくれました。昼マルトに行ったとき息子がハタハタを見つけて購入し、ハタハタと茄子、油揚げの味噌汁、ガパオライスを作ってくれました。びっくりするくらい美味しかったです。としさんは動画で、使うパスタはバリッラの5番といっていたのでベニマルに行ったら1番3番4番はありましたが5番がなくて、4番を買って使いました。城東のマルトに行ったとき探したら、5番があったので購入しました。1.8mmと太めのパスタ麺です。最近としさんも「Buondi Toshi」というユーチューブはじめたみたいで、それも楽しくみています( https://www.youtube.com/watch?v=82ZhCdmXBiY )。彼の「アッカディ」というお店には、楽しい部下でパキスタン人のカジン、美しいキッカ(菊花と動画には描かれています)が店員でいて、変わり者というかまさにイタリア人のマルコというお客さん、ぼなべTVの人がまるでドラマみたいに出てきて楽しいです。としさんはぽろっと素晴らしいことを言うのでそれも魅力の一つです。ぼくも息子に負けじと茄子のパスタのベースを作りました。味見してもらったら「うまい!」と言ってくれました。息子もよく言いますが、作った人に美味しかったって言われると、ホントうれしくなります。昼ご飯は、6国沿いの美味しい中華「福興(ふくせい)」に行ってきました。味とコスパに息子は驚いていて、また行きたいと言ってました。
夜は前から約束していたのですが、仲良しの焼肉粋家のご夫婦とその友達たちと小名浜港で朝まで岸壁釣りをしました。といってもぼくは見学ですが。息子は中学生頃から釣りにはまっていて、前からいわきにきては釣りに行き、毛ガニなどいろいろ釣っていました。今回は、よくスズキやクロダイが釣れるというのでみんな張り切ってましたが、直前に大雨が降り海面は濁っていて、結局大物は釣れませんでした。スズキの餌になるアジを釣っていると、そのうちアジとサバが入れ食い状態になりました。雨が上がってからは、月がとても綺麗でした。途中みたこともない美しい細長いクラゲのカップルが泳いできて、見とれてしまいました。調べてみると帯クラゲというのだそうです( https://ja.wikipedia.org/wiki/オビクラゲ )。東北より南に生息と書いていますが、最近の水温の上昇で北上してきたのかもしれませんね。明け方に粋家のマスターがドラゴン級の太刀魚を釣り上げましたが、タモが来る前にばらしてしまいました。大きなカマスも別の仲間が釣りあげました。息子がタモを持って行き、カマスの仕掛けをはずそうとしたところ、カマスが暴れた拍子に針が手に刺さってしまいました。太く3連の針でかえしがあるため抜けず、結局疑似餌が刺さったままぼくのクリニックに連れて行きました。久々に車を運転しました。局所麻酔を注射して無理矢理釣り針を引っこ抜きました。朝5時頃でしたが、ひるちゃんがわざわざ出てきてくれて、抗生剤の点滴や破傷風の予防注射、創部処置をしてくれました。本当に感謝しております。借りていた車をひるちゃんにお返しして、とりあえずのお礼に息子がつくったもろもろの食べ物とぼくが作った茄子のパスタの素などを持って行ってもらいました。ありがとうございました。
その後シャワーを浴びてから二人ともおなかがペコペコだったので、怪我の処置後でしたが息子がカルボナーラを作ってくれて、美味しくいただきました。アーリオオーリオと塩、ぺぺ(黒胡椒)のみの味付けでしたが、激うまでした。食べた後昼まで爆睡して、家を出る前にアジを1尾夕食用に刺身にしてくれました。
午後にいわき駅で息子を見送って帰ってから、あまっていたキャベツとベーコンをアンチョビとアーリオオーリオペペロンチーノ、あとは塩、醤油、オイスターソース、ごま油で味付けして食べました。味はまあまあだったかな。たくさん野菜が食べられたからよかったです。青ネギが余っていたので卵と和えてオムレツ風にしてそえました。アジの刺身はコリコリしていて絶品でした。息子がすぐにしめていたので新鮮でした。
息子のおかげで楽しい連休を過ごせました。明日からまた頑張りたいと想います。
〇2024年9月1日日曜日
とうとう8月が過ぎ、9月になりました。8月は楽しいこともありましたが、全般的に色々あってぼくにとってはあまりいい月ではありませんでした。そのかわり、今までになく色々と考えさせられた月でもありました。夏は開放的で大好きな季節なのですが、猛暑や台風をはじめとする災害、個人的なことも含めて今年の夏は盛り上がらないまま過ぎて行ってしまいました。
今朝は久しぶりにジムに行って汗を流しました。ジムと言っても30分足らずでたいしたことはやっていませんが、何もしないよりいいかな程度です。やった気になるという自己満ですね。昨夜買ってきた具材でサンドイッチを作って朝ご飯を食べました。べにまるの湯こねパンでつくるサンドイッチが好きです。慈恵医大の頃から毎年患者さんのご家族が送って下さる六本木キャンティのドレッシングを生野菜にかけて、ベーコンオムレツとキリのクリームチーズで作りました。キャンティのドレッシングは今まで食べた中で一番美味しいドレッシングです。感謝です。パンはトーストしないで和がらしとマヨネーズを塗ってそこに具材を入れて完成です。美味しかったです。牛乳をレンジで2分温めてから粒のコーヒーを溶かしてコーヒー牛乳にして飲みました。これはおふくろがよく作って飲んでいたやり方です。素朴で美味しいです。
昨日は昔お世話になった病院の院長先生のお通夜でしたが、台風のため出席を断念しました。家内も昔そこで師長をしていたのでかわりに行ってもらいました。30年ぶりに会う仲間がいたそうですが、だれも気づいてくれなくてショックだったと言ってました。30年たてば歳をとるからわからなくなるのは仕方ないですね。今日は郡山で日本医師会主催の勉強会があって、内容がいいので申し込んでいましたが、台風の影響で延期となりました。そんなわけで今日は家でゆっくり過ごします。産業医をしている2施設からセミナーの依頼があり、また福島県の慈恵医大同窓会から会の際に学術的な話をしてほしいと依頼がありました。今日はその3つの講演のためのスライド作りをして過ごそうと思います。
昨日台風に備えて今日のための食材を谷川瀬のべにまるに買いに行ったのですが、近くの薬醫神社でお祭りをしていたのでちょっと行ってみました。特になにかあるわけではありませんでしたが、谷川瀬の方々が子供たちのために水風船のヨーヨーの釣りゲームをさせてあげたり、ジュースや味噌おでんを売ったりしていました。50円の味噌おでんはとても美味しかったです。お賽銭を10円入れてみんなの健康を祈ったのですが、その際に御神酒をいただきました。ありがとうございました。大人も含めてビンゴ大会が始まるところだったので、そっと帰ってきました。本来は五穀豊穣をお祈りするのでしょうが、ぼくにできることはみんなの健康をお祈りすることのみです。五穀豊穣と言えば沖縄のパーシャクラブがかっこよく歌っている曲があります( https://www.youtube.com/watch?v=i5US5QaekIU )。今朝ジムに行くときもお囃子が聞こえてきて、今日もやっているようでしたが、雨が降らないといいですね。ぼくらも来年はお祭りに参加したくて、クリニックでいわき踊りに出ようと思っています。みんなでわいわいとわっせわっせ(輪っ盛)すると気持ちよさそうです。患者さんにも希望者を募って一緒にでたいです。記念におそろいのTシャツか何かを作りたいですね。いずれ募集のお知らせをしますのでどうぞよろしくお願いいたします。お盆のお祭りや神社のお祭りに行くと、人間の生き死にって何だろうと考えてしまいます。いつかは死んじゃうんだけど、死んだ人のためではなく残された人が死んだ人を想ってやるものなのだなとぼくは感じています。霊を信じないわけではありませんが、ぼくには見えないし感じないので霊が見える人の話は、ふうん、そうなんだという程度で話を聞いています。医学が進歩したから、昔は助からなかった病気も助かるようになり、長生きができるようになりました。これは人類にとって素晴らしいことではあるけれど、かたや戦争をして人を殺したり、少子化で人口が減ったり、自然破壊で温暖化や災害などで自分たちの首を絞めたりして、ほんと今の人類はバランスが悪すぎますね。きっと便利になりすぎてしまって、それまで自然の有りように敬意を示していたのに、自然を支配してしまったためのおごりなのか自然を壊してまで便利さを追求してしまっていますね。そのため地球という宇宙のなかでも希有な惑星を破滅に追いやっていることが最近手に取るように感じます。不便だけれど幸せだった産業革命以前の時代は、人々も不便故にわくわく感やがまんする気持ちやしかたがないという気持ち、夢中になってなにかをやること、思いやり、助け合い、それこそ普通に利他的に生きていたのではないかと思います。そうしないとまた生きていけなかったからだと想いますが。昨日池波正太郎の「旅路」を久しぶりに読み返しました。真実を知らずに誤解をしたまま生きる、しかしある意味その方が幸せなのかもしれないということもあるなと思いました。人によっては真実を話せないまま死んでいく無念がある反面、それで結果的に幸せに生きる人もいて、人生色々あるのですね。現代社会はすべてが暴露される時代ですので、とても時代小説のような生き方はできないと思いますが、同じ現代でも昭和の時代とは大きくかわっていますよね。田中角栄もあの時代だったから日本を大きく変えることができましたが、結局色々暴かれて失脚してしまいました。その頃から現代日本は変わっていった感じがします。いずれにせよいい意味でも悪い意味でも戦後アメリカからいいように影響されてしまいましたね。
今日は久しぶりに、坂本慎太郎の曲を聴いて気持ちを盛り上げようと思います。彼の歌詞はとても考えさせられるものが多いし、曲調も独特で、いまの日本のミュージシャンでは一番好きです。生き様も好きです。「ゆらゆら帝国」でメジャーになったのにバンドでやり尽くしたと解散していまはやりたいようにやっている我が道をすすむ姿が好きですね。以前も紹介しましたが数曲改めて年代を追って紹介します。「ズックにロック( https://www.youtube.com/watch?v=JxguHDyUoOg )」「発光体( https://www.youtube.com/watch?v=9de9r-nD9Ko )」「ゆらゆら帝国で考え中( https://www.youtube.com/watch?v=yuofx589Ynw )」「無い!!( https://www.youtube.com/watch?v=fUBsCl3PEPU )」「夜行性の生き物3匹( https://www.youtube.com/watch?v=UBcfeo8uImA )」「タコ物語( https://www.youtube.com/watch?v=qbkxCVNsFsY )」「空洞です( https://www.youtube.com/watch?v=mKUhq7SYouA )」。曲の感じがガレージ・ロックから独特の民謡風、不思議で怪しい曲、最後は空洞で、無駄をそぎ落としていった曲になって、やりつくしたとしてゆらゆら帝国を解散しました。彼は多摩美大卒業で、アルバムジャケットはすべて自作です。ギターもうまいし、あのギターでどうやったらあんなふうに歌えるのかと言うくらい凄いです。ジミ・ヘンドリックスもびっくりでは?先日ベースの亀川千代さんがお亡くなりになりました。かっこいいベーシストでした。ご冥福をお祈りします。坂本慎太郎はソロになってますますいいアルバムを作っています。ゼローンレコードを設立して現在4枚出しています。「死者より( https://www.youtube.com/watch?v=yW0gcvbzgIw )」「あなたもロボットになれる( https://www.youtube.com/watch?v=BFa0SA4pEKo )」「君はそう決めた( https://www.youtube.com/watch?v=t08i_cWdcbM )」「ナマで踊ろう( https://www.youtube.com/watch?v=REo8W-vEok4 )」「ディスコって( https://www.youtube.com/watch?v=LXPKUH72gRE )」「物語のように( https://www.youtube.com/watch?v=NIXKvE_eMyI )」「ある日のこと( https://www.youtube.com/watch?v=uJH7Y_0kWeI )」。アニメーションはすべて彼の作品です。ほんと多彩ですね。現在は精力的にライヴをしています。一度なまで聴いてみたいです。
9月はきっと8月よりいい月になると思いますしそうしていきたいなと思っています。気候変動に負けないで頑張っていきましょう。
〇2024年8月26日月曜日
お盆が過ぎてもまだまだ暑いですねー。昼に郵便局に歩いて行ったら、暑くてどうかなるかと思いました。これからまた台風が来るみたいだし、なんだか楽しい夏がどこかにいっちゃいましたね。熱中症予防で、毎日「つぶまる」で麦茶を作って飲んでいます。ミネラルは黒糖を食べて補給しています。加計呂麻島の西田精糖の白い黒糖はなかなか手に入りません。しかし、谷川瀬のベニマルに売っている枕崎の薩南精糖の黒糖は、安くてめっちゃ美味しくてしかもカリウムが80g中208mgも入っていて、超おすすめです。上荒川のベニマルには置いていないようです。毎日一粒麦茶と一緒にコリコリと食べてます。今も食べてますが、何でこんなに美味しいんだろう。シアワセ。これで今年の夏は乗り切れそうです。
今日、青森の仲良しの斎藤さんから今年のねぶた祭のうちわが届きました。素敵なデザインです。明日からクリニックの入り口に置いて、お一人様1枚でお裾分けしようと思います。2週間くらいでなくなりそうですが、その間にいらっしゃった方はどうぞお持ち帰り下さい。まだまだ暑いので役に立つと思います。裏に協賛の絵が描いてあるから売り物ではないと思うのですが、同じがらで青森では300円で売っていました。それを500枚も送っていただきました。斎藤さん、感謝です。
昨日からヌスラット・ファテ・アリ・ハーンが聴きたくて、長い曲ですが大好きな「アッラー・フー」を聴いています。いくつか年代別に聴くことができます。若いときのものでは隣に小さい子供がいて高い声で一緒に歌っています( https://www.youtube.com/watch?v=eeB8pJUxjkY )。投げ銭のやり方も日本と違ってぶわーっと札をばらまいている人もいて面白いです。年をとった後での動画を見ると、右端に高音の声の男性がいますが、きっと大きくなったその子供だろうと思います( https://www.youtube.com/watch?v=cj7roem9NRc )。大きくなってもめちゃくちゃ高い声が出ています。仲間もみんな老けてきていて、彼のこのグループはずっと同じ仲間なんだろうなと思いました。なんて言う楽器かわからないのですが、アコーディオンみたいなやつのリズムがまたたまりません。タブラも最高です。即興なのか決まりがあるのかよくわからないけど、30分近くの曲なのに、ビタッと息が合っていて本当に凄いです。彼は大好きな歌手3人のうちの一人ですが、生きているときに聴きたかったです。パキスタンでの最大のヒット曲は「ハック・アリー・アリー( https://www.youtube.com/watch?v=-KhGnR5C-N4 )」という曲なのですが、横浜でウーマッドというワールドミュージックのコンサートで来日した際の動画です。ぼくのサンバの仲間が観に行ったらしく、あまりのすごさにぶっ飛んだと言ってました。カッワリーというパキスタンの宗教音楽ですが、イスラムですがヒンドゥーもはいっているみたいで、よくわかりませんがそういうことを抜きにしても音楽に引き込まれてしまいます。
そんなわけでまた明日から暑さと台風に負けないように頑張りましょう。
〇2024年8月13日火曜日盆入り
夏真っ盛りですね。毎日暑くて昼は家でおとなしくしています。お盆の間は埼玉県川口市にある自宅のマンションを中心にゆっくりしています。いわきで保護して連れて来た猫のねねちゃんも5歳になり、元気いっぱいです。今になって少しだけぼくに慣れてきた感じがします。お尻をポンポン叩かせてくれるようになりました。
お盆中に時間をみつけて自分の部屋の片づけをしようと思います。いままで大事にとっていた医学書や自分が書いた論文の別冊など一気に捨てようと思います。とくに臨床はどんどん進化しているので古い雑誌は現実的には何の価値もないと思います。自分がやってきた証だけ子孫に残そうと思います。もしかしたら迷惑なゴミかもしれませんが。部屋には九州の実家を売却した際に家にあった二村家のものをいくつか持ってきて置いてます。古時計、焼きもの、タンス、貝殻風の漆塗りの置物、有田焼?の布袋様の置物など。こればかりは捨てる勇気がありません。あと、たくさんの古いマンガ、音楽雑誌、レコード、CDなども捨てられません。息子には申し訳ありませんが、ぼくが死んだあと捨てるなり売るなりしてもらおうと思います。
整理していたら、探していた怪獣ブースカの全話のDVDがでてきました。以前にも紹介したかもしれませんが、昔から大好きで、自分の幼稚園の頃を思い出します。白黒ですが、当時の東京の様子や車や社会の在り方が作品に出ていて興味深いです。いい意味でゆるい良き時代でした( https://www.youtube.com/watch?v=a64H5TRzU9o )。いまのようにいじめやハラスメントなんて発想は無かった時代ですね。みんな強かったし優しかったように思います。江戸家猫八、大泉愰、上田吉次郎、由利徹といった凄い俳優が子供たちを楽しませるために素晴らしくくだらない楽しい演技をしています。最終回では悲しくて泣いたことを思い出しました( https://www.youtube.com/watch?v=g1QhWV5HeCs )。円谷プロはゴジラ、ラドンをはじめ帰ってきたウルトラマンくらいまで結構社会的に考えさせられる深い内容の脚本が多いように感じます。さらにクレクレタコラのCDやDVDも出てきました。18:55から5分間の短いテレビ番組でしたが、あまりのシュールさと結局失敗してしまうというわがままぶりが面白くて小学生の時にはまっていた番組です( https://www.youtube.com/watch?v=G0rV0_nGDzE )。制作時のことを話している興味深い映像がユーチューブにありました( https://www.youtube.com/watch?v=BBc3DbLi9yg )。くだらないけど夢がある時代でしたね( https://www.youtube.com/watch?v=A-AZRwsQTqo )。
むかしはゲームなんてない時代だからこどもは外で遊ぶしかなかったです。こども同士の社会があって、番長が親や兄弟のかわりになっていましたが、いまはゲームやPCの普及でそういう事がほとんどなくなっています。大人は、こどもに大人目線でダメというのではなく、ある程度好きにやらせて本当にいけないことをした時には愛情をもってしっかりとしかるということがこどもには大切なんだろうなと思いました。
お盆中に親友のよっちゃんに会えるので超楽しみです。よっちゃん宅で二人で家飲みするので泥酔しないよう気をつけたいと思います。皆さんも地震や台風、猛暑に負けないように夏を、お盆休みを楽しんでください!
〇2024年8月6日火曜日
7月に開業のときにお祓いをしていただいたお坊さんにお会いしに千葉の柏まで行ってきました。天台宗で比叡山延暦寺で修行を積んだ尼さんです。彼女のお母様を慈恵医大に在籍中に僕が胃がんの手術を担当してからのご縁です。ちょうどタイミングよく護摩行をするということで、土曜日夜に柏入りしてホテルに一泊して参加してきました。お不動様は火の神様で、護摩堂のお不動様の前での護摩行に参加しました。般若心経を唱えた経験がなかったのですが、教本をお借りして一緒に唱えました。火の目の前に座らせてくれて、暑かったのですが、思ったほどではなく、途中クーラーが効いているのかな?と思うくらい涼しく感じた瞬間がありました。お坊さん曰く、ぼくの体から黒いものが出ていくのが見えたのだそうです。ぼくは個人的には無宗教ですが、そうなんだとありがたく思いました。その後たまたまその日に名前と誕生日と手相で占ってくれるという方がお参りに来ていて、占っていただきました。面白いようにぼくの性格やこれまでのことを言い当ててくれて、手相でもたくさんいいことをおっしゃってくれました。ただ来年は体に気をつけるように言われました。
今月に入り、日曜日から青森のねぶた祭りに行ってきました。青森の友達の斎藤さんがすべてセッティングをして下さいました。本当にありがとうございました。最前列で観ることができました。ぼくの息子とひるちゃんとかなちゃんの4人で参加しました。斎藤さんのお知り合いで有名なねぶた師の竹浪さんのねぶたは実に素晴らしかったです。おしくも5年連続の最優秀賞は逃しましたが優秀賞でした( https://www.nebuta.jp/warasse/event/2024/08/2022-3.html )( https://www.youtube.com/watch?v=tUJKMsq_754 )。最優秀賞は北村麻子さんでした。この方も素晴らしいねぶた師です( https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/1341765?display=1 )。息子は、ハネトと一緒に跳ねて大いに楽しんでいました。しかしなんといっても音楽が大好きなぼくや息子は、大迫力の囃子の大太鼓の音に感動しました。こればかりはそこで聴かないと味わえない音の振動です。日立連合の音が際立ってよかったです。手振り鉦のリズムもビシッと決まっていて実によかったです。囃子賞をとったようですが、やっぱりなという感じでした。初日の音出しの動画があったので載せます( https://www.youtube.com/watch?v=t115Wu8VNrs )。実際にねぶた運行がはじまると、どの団体もハネトのラッセラーのかけ声は躍動的でいいのですが、なぜか囃子のリズムとまったく合っていなくて気持ち悪かったです。どうせなら囃子のリズムに合わせてかけ声をかけて跳ねたらいいのにと思いました。息子もぼくと同じ疑問を感じていました。それはそうと、本当に斎藤さんには改めて感謝です。
そして今日は青森から仙台でいったん下車をして、仙台の七夕祭りを見物しました。お飾りは綺麗でしたが、人が多くて、ただ七夕のお飾りの間を歩くだけだったのであまり感動はしませんでした。仙台から息子は東京方面へ、ぼくとひるちゃんとかなちゃんはいわきに向かいました。いわきでも七夕祭りをしていて、むしろ仙台よりいわきの方が活気を感じました。レンガ通りに出店している仲良しのたこ焼き屋さんの「天下一蛸焼本舗」で美味しいたこ焼きを買いました。ルートインホテル前ではじめて出店した行きつけの「ごえもん」さんの串揚げを買いに行きましたが、はじめてのとのことでまだ準備中でした。残念!先日これを出しますと言って作ってくれた30cmの串揚げを載せました。8種類の具材でできています。めっちゃ美味しいのでみなさんも是非食べてね。
明日からまた仕事に戻ります。明後日は2回目のクリニックの七夕イベントです。それが終わったら、長いお盆休みとなります。休んでばかりで申し訳ありません。
暑さが半端ないので皆さん熱中症には十分気をつけましょう。ぼくも麦茶と奄美大島の黒糖で乗り切ろうと思います。
〇2024年7月21日日曜日
ぼくは基本甲状腺、消化器の専門医で、このクリニックも日本甲状腺学会認定専門医施設で、クリニックだけどいわゆるスペシャリストとしてやっていると自負しています。なので、日々診察している方が急に発熱した場合は申し訳ないのですが発熱外来のある別のクリニックで、コロナやインフルエンザではないことを確認した上で来てもらっています。予約制でみているので、緊急対応ができないのです。しかし、バセドウ病や亜急性甲状腺炎などの方で緊急性があると思われる患者さんは、電話してもらってどこかの時間帯にねじ込んで診察をしています。なんでも診るかかりつけ医のクリニックでは予約制ではないから、受診すると3時間待ちとかになってしまいます。ぼくのクリニックはそれを回避するためにあえて予約制にして、あとは電話で判断しています。メールでの予約システムでは新患とそうではない方の区別がつかないのでとりいれていません。新患は診察に時間がかかるため、新患枠を設けてほかの患者さんの数を減らしています。いろいろ未だに試行錯誤しています。
先日日本医師会からかかりつけ医機能研修制度の応用研修会というお知らせが届きました。スペシャリストという立場だと、専門分野の学会参加で十分と思っていましたが、内容を見ると知っていて決して損にはならないようなセクションばかりでしたので、出席申し込みをしました。なんちゃって程度で診ている分野は専門医に紹介していましたが、少しでも日々の診療に役立てたらと思いました。
クリニックを開院して4年目ですが、秋に法人化することになりましたので、今回改めて自分の医師としてのあり方というか姿勢を書こうと思います。
四字熟語で表すと「不惜身命(ふしゃくしんみょう)」という言葉になります。命や体を惜しむことなく、全力でことに当たることという意味です。
ぼくはもともとというか今でも外科医ですが、外科というのはメスで人を切ってよくするという一歩間違えば死に至る可能性もある職業です。そのためせっかちな人が多く、待っていられない性格の人が多いように思います。待っていたら死んでしまうからです。そして、自分が手術をした患者に対してはいかなることがあろうとも逃げずに責任をとる覚悟でいなくてはいけない職業です。結果がすべてであり、言い訳はできません。しかし、絶対はあり得なくて、名医と言われる人も、そうなるまでは数々の失敗を乗り越えて名医になっていくのです。ゲームと違ってリセットはできません。必要なのは何かあったときのリカバーショットです。その手段をいかにたくさん持っているか、経験で学ぶしかありません。ぼくがいた慈恵医大第二外科の胃がんチームのボスの高山澄夫先生は、一緒に飲みに行くと、「二村、外科医は白装束だぞ。いつでも切腹するのと同じ覚悟が必要なんだ」とよく語っていました。まさに武士道ですね。いまどきの医者には考えが古いと言われるかもしれませんが、とにかく逃げ場のないストレスフルな職業であることには間違いないでしょう。手術はうまくいって当たり前の世界ですが、そのためにはきめの細かいリスクマネージメントが必要です。いま水曜日に常磐病院の尾崎医師執刀で、ぼくとひるちゃんは助手で手術に携わっていますが、術後管理はうちのクリニックでしているので、やはりすべての責任を受け止めて診療しています。また、高リスクの手術は、無理をせず東京医大の筒井英光先生に紹介して手術をしていただいています。帰ってきた患者さんがみんな笑顔で、素晴らしい先生でしたと口々に言っています。ほかにも東京の信頼できる医師や、いわきでも信頼している専門の先生に常に紹介しています。甲状腺や消化器に関しては内科的な診療もしていますが、やはり外科的な考えがベースにあります。責任を持ってみるけれど、わからないことはわかっている人にまかせるべきと思っています。ここが島で唯一の医師であればそうもいきませんが、それでもいまでは遠隔診療もできる時代ですのでオンラインで専門医にきくこともできるでしょう。とにかくいい加減な診療はしたくないと思っています。そういう意味では広義のかかりつけ医ではありません。
いつまで外科医でいられるのか、また専門医としてやっていけるのか神のみぞ知るですが、自分の言動に責任が持てなくなったら、すぐに医者をやめる覚悟でいます。
ぼくはそういう医者です。
毎日暑さが厳しいのでくれぐれも熱中症にお気をつけ下さい。ミネラルが多い麦茶と黒糖をおすすめします。
今日の音楽は、コクトーツインズ( https://www.youtube.com/watch?v=sTQleXn0B1k )、ビートルズ( https://www.youtube.com/watch?v=wNSvI6GMl2k )、ジョージ・ハリスン( https://www.youtube.com/watch?v=LfpoQoHVnPo )を。
日々びっくりするようなことが起こりますが、気持ちをまっすぐにもって後ろを振り返らず、常に「Go Forward」で行きたいと思います。
〇2024年7月15日月曜日海の日祝日
南崎香子先生。ぼくが小学校2年生から4年生まで3年間担任をされていた先生です。先週の金曜日のひるに、南崎さんという方からお電話ですと事務員に言われて、「もしかして?」と思って電話に出ました。南崎先生のお嫁さんからのお電話でした。なぜぼくのクリニックがわかったのかお尋ねしたところ、先生のお孫さんがなにげなく検索をしていたら、ぼくのクリニックのホームページがヒットしたのだそうです。ホームページを読んで、ぼくがいかに先生にお世話になったかを感じて下さったのでしょう。そんな訳で電話をしてくださったようです。先生は現在ご自宅を処分されて、福岡市の施設にいらっしゃるとの事でした。98歳でご健在との事。認知症のため、おそらくぼくのことはわからないだろうな。そのご家族からわざわざ電話をいただいて、本当にうれしかったです。ありがとうございました。ホームページをみてみると、開院時のメッセージのにむ院長自己紹介の中のにむ院長性格セルフ分析の中に、「ぼくは自分で言うのはおこがましいですが、大器晩成型だと思います。小学校くらいまではただのはなたれ小僧でした(応援メッセージに幼なじみのりかちゃんがその頃の事を書いてくれてます。)今の時代ならきっとみんなについていけなかったんじゃないかと思います。後藤寺小学校の時にお世話になった担任の南崎香子先生に、「医者になりたくて医学部に入りました。」と慈恵医大に入った後ご挨拶に伺ったのですが、その後おふくろに「子供はあきらめちゃダメなんですね。」と涙ながらに語っていたそうです。まさかあのぽやんとしたはなたれ小僧が医者になるとは夢にも思っていなかったのでしょう。本当にのんびりした昭和のいい時代に育ったと感じています。」と書いていました。そんなこともあり、今日はぼくの小学校時代の事を書いてみようと思います。今回はたくさんの写真も載せました。よかったらみてやって下さい。
ぼくは福岡県田川市の後藤寺(ごとうじ)という町の写真館の息子として生まれました。実家の事は別の機会に書きます。父の高校の後輩に井上陽水さんがいて、あの「少年時代( https://www.youtube.com/watch?v=dNS4rE2dKJA )」に歌われていた風景と同じ田舎で、この曲を聴くと当時のことを思い出します。田川市立後藤寺小学校に通いました。1年から6年までの通信簿をまだ持っています。1年のときの通信簿を見ると、5段階評価で1学期は体育2、あとは全部3でした。2学期以降は、図画・工作のみ5です。この頃絵を描くのが好きで油絵を習っていて、県で賞をとったりしていたのでそういう影響もあったのでしょう。1年の担任の片岡先生のぼくの評を読むとほんとにぽやーっとして、図画以外はどうしようもない子だったようです。そういえば、よく空想に耽っていたような気がします。そして2年生になって担任が南崎先生にかわりました。優しさと厳しさを兼ね備えていた先生でした。3年生の時の集合写真です。ぼくが9歳なので、先生はこの頃45歳だと思います。凛として美しいですね。当時1学年4クラスだったと思います。懐かしい顔ぶればかりです。ぼくは上から3段目の右から3人目です。まだ眼鏡をかけていません。その2人左横で先生の上にいるのが6年間一緒で、早生まれでできの悪いぼくの面倒をみてくれた進野弥生(旧姓田中)ちゃんです。一番上段の右端が転校してきた生嶋くんです。お父さんは刑事さんでした。その3人隣りが電気屋さんの小島君です。2段目の左から5番目の三つ編みの女の子は当時古賀美幸ちゃんといって幼心に密かに気になっていた女子です。このころの小学校は古い木造でした。お手洗いは古く木製で、男女兼用で、男児の小便は縦に建ったコンクリート板に向かってするものでした。ある時、その板の上を越せるかどうかを友達と競っていて、力を入れて頑張っていたところ、僕のおしっこが塀を超えて反対までとんでいきました。すると、反対側に偶然生嶋君がおしっこをしていて、彼にぼくのおしっこがかかってしまい、泣きながら怒って向かってきました。確か南崎先生が仲裁に入って下さったような気がします。ぼくが悪いので、その夜お袋と菓子折りをもって彼の家に誤りに行った事を懐かしく思い出します。生嶋君、あの時はごめんなさい。彼はその後小倉に転校していったのですが、なんと同じ中学校に通うことになったのです。中学校では同じクラスで仲良しでしたが、彼はまじめでよく勉強して成績も常にトップクラスで、ラ・サール高校に合格して東京大学の理IIに行きました。大学時代はボートのエイトで活躍し、今は住友化学で常務執行役員をしているようです。13年前にぼくが中学校の関東支部同窓会の幹事長をした時の飲み会で中学校卒業以来会いましたが、全く変わっていなかったことにびっくりしました。3人で写った写真の左がその時の彼です。当時50歳とは思えない若さです。小島君には2年前に後藤寺を訪れた時に、彼の実家の電気屋さんを尋ねたところ偶然お店にいて一緒に写真を撮りました。お互いいいおっさんになったなと思いました。小学校の頃、よく空き地で野球をして遊んでいて、ボールが犬の糞についてしまい、彼が面白半分に投げたところ、当時悪ガキだった池永君(確か警察官になったと聞いています)に当たってしまい、怒った池永君が小島君のグローブを犬の糞に投げつけたことがありました。その後彼は一生懸命グローブを洗って乾かしたのですが、匂いが取れずしょげていた事を思い出しました。4年生の時の集合写真も載せました。この年に木造の校舎が鉄筋コンクリートになりました。落成式はよく覚えています。校歌が変わったことも覚えています。ぼくは上から2段目の右端です。このころから眼鏡をかけています。左横が小島君です。その3人左隣りが生嶋君です。弥生ちゃんは一番上の段の左から3人目です。弥生ちゃんは小学校の先生になって、2年前に後藤寺に行った際に後藤寺小学校を案内してくれました。一緒に写真を撮りましたが、校舎や教室は50年以上も当時のままで、タイムスリップしたような感覚になりました。このとき南崎先生からの葉書をみせてくれて、先生に会いたいなと思いましたがご自宅に電話してもつながらないとの事でした。葉書を読むと南崎先生の弥生ちゃんに対する愛情をとても感じます。このとき弥生ちゃんと一緒に食べた小学校前のうなぎの森本の味が忘れられません。関東と違って蒸さずに焼くのでかたいのですが香ばしくて大好きです。4年生の通信簿を見ると、相変わらず図画・工作のみ5です。少し4が増えてきたかなという感じですが、先生の評はなかなか厳しいものですね。トンチンカンって笑っちゃいますね。子供をよく見てるなと感心します。それに2学期の行動の所見は、今読んでも笑ってしまいます。「飼育係の仕事を最初はファイトをもってもくろんだが次々に魚が死ぬので諦めた状態となった。給食中もう少し静かにしよう。」だって。ほんとにどうしようもないガキですね、ぼくは。先生に、隣のクラスにわら半紙をもらってくるよう頼まれたことがありました。当時は今のように白い綺麗な紙ではなく茶色いわら半紙と呼ばれる紙が多かったです。隣のクラスの先生のところへ行ったのですが、わら半紙という言葉が出てこなくて、紙をくださいとしか言えなくて、何の紙ですかと言われてただ紙ですと言ったら、もう一度聞いていらっしゃいと言われて南崎先生のところに戻りました。そのとき先生は、なんてお願いしましたか?とぼくにたずねましたが、わら半紙という言葉が出てこず、再度教えてもらって取りに行った事があります。先生がなんとなく悲しいような困ったような顔をしていた事をふと思い出しました。ささいなことですが、子供心に何か感じたことがあって今でも記憶にあるのですね。おそらくあまり自分に自信がなかったころだと思います。太っていたし出来が悪いしでコンプレックスの方が強かったのだと思います。このころ、先生がクラスから3人選んで、1分間でみんなの前で何でもいいので発表するように言われました。あとでわかったのですが3人には生嶋君も選ばれていました。ぼくは日頃私語ばかりして怒られていたので、きっと反省を促すために言われたと思ってしまい、とても不名誉な事だと勘違いをしてしまいました。1週間の時間があったのですが、ぼくはあやまるつもりでしおらしく黙っている事に決めていた事を覚えています。トップバッターがぼくで、みんなが見つめる中、じっと一言も発しないで終わりました。そのあと生嶋君の発表は、内容はおぼえていませんがとても楽しいもので、やんやの喝采でした。えっ?楽しい話をしてもよかったの?と急に恥ずかしくなったことを覚えています。なぜあのとき南崎先生がぼくに発表するように言ったのか、今では謎のままですが、きっと自信を持たせるためだったのではないかと思います。今ではどれだけ大勢の人がいる前でも緊張しないで話せる自分がいますが、このころのぼくには考えられない事でした。その後5年生、6年生と小柳先生に担任が変わり、姉の影響もあり、また漠然と医者になりたいという気持ちが芽生えていて(そのことはまた別の機会に書きます)、市立の進学校に行きたいと思ってがぜん勉強をしたことを覚えています。そのころから一緒に遊んでいた友達とも疎遠になったような気がします。洋楽のロックに目覚めたのもその頃です。そして、ようやく少し積極的になっていったような気もします。当時は全く自覚がありませんでしたが、まわりにはかなり迷惑をかけていたんだろうと思います。5年の時の集合写真では生嶋君が転校していません。ぼくは上から2段目の右端、弥生ちゃんは一番上の段の左から3人目です。一番上の段の右から2人目が小学校1年からの仲良しだった呉服屋さんの鈴木君です。2年前に小学校卒業以来で会いましたが、相変わらずかっこよかったです。後藤寺にはもう一生行くことは無いだろうと思って弥生ちゃん、小島君、鈴木君に会いましたが、もし万一この先当時の学年の同窓会があるのなら、また後藤寺まで行こうと思います。
小学校を卒業する1973年に発売されて、大好きだったジョン・レノンの「マインド・ゲームス( https://www.youtube.com/watch?v=bVYXWVs0Prc )」のアルティメイト・コレクションが今回発売されます。えのもっちゃんが入れてくれるとの事でとても楽しみです。この曲を聴くとこの頃を思い出します。
最後に前回ディズニーのパレードに出ていた事を書きましたが、その頃の衣装を着た写真があったので載せます。
長い長いひとりごとでした。お付き合いいただきありがとうございました。
〇2024年7月7日日曜日七夕
今日は七夕ですね。快晴です。しかし、暑いですね。
数日前に、以前の飲み友達の原ちゃんが、ついに109日目に徒歩で日本縦断したそうです。すごいことです。尊敬します。いわきに立ち寄ったのが63日目でした。勇気がもらえるので是非彼のブログをみてほしいです。Amebaブログのアメーバ検索の一般ブログで「還暦徒歩ダー」で検索すると出てきます。達成の後、メールをくれて、今度東京で飲もうという約束をしました。
先日べにまるで偶然牛すじを見つけたので、しこたま買い込んでしまい、息子に教わった牛すじトマト煮を作り、その後牛すじおでんを作り、一昨日は最後の牛すじで牛すじカレーを作りました。カレー味の牛すじ煮込みみたいな感じになりましたが、美味しかったです。家にあるあらゆる香辛料を入れて、チョコ、コーヒー、牛乳、ヨーグルトも入れました。具材は牛すじ以外は合い挽きの挽肉、カレー用牛肉ブロック、タマネギ、にんじん、セロリです。セロリは葉っぱも全部入れました。昨日お裾分けして、残りを全部食べました。今朝はご飯に味噌と梅干しのみです。味噌は先日常磐病院に手術後の回診に行った帰りに、行きつけの上々屋さんに寄ったときに、マスターに自家製のお味噌を少しいただいてきたものです。今まで食べた味噌の中で一番美味しかったです。キュウリやご飯でいただくと最高です。マスターが、ぼそっと「見えないところに全力でこだわる」と言っていた言葉が生き様として実にかっこいいなと感じました。何でも美味しいのは、裏ではこういうこだわりがあるからなんだと改めて気づきました。日々の努力や好奇心を忘れてはいけませんね。肝に銘じます。
昨日たまたまTVをつけたらNHKで、新プロジェクトXで黒柳徹子の幼少時のトットちゃんの先生ということでトモヱ学園の園長先生の特集がやっていました。とてもいい番組でした。今の自分に置き換えて反省することが多く、今後に生かしたいと思いました。人を叱ったり批判するのではなく、信じて見守る姿勢、その根底にはすべての人は本当はいい人なんだという気持ちを持つことが大切だと感じました。しかし現実社会では、悪の方向に向かう人もいます。純粋な子供のときの教育がいかに大切かということを感じさせられる番組でした。おてんばで周りに迷惑ばかりかけるというので普通の小学校にいれなくなった黒柳徹子に、「本当はいい子なんだよ」と声をかけたそうです。それが今の彼女を導いていると言っていました。また現在アメリカで物理で素晴らしい発見をした同じ学園の仲間がいて、彼は運動音痴で引っ込み思案でなにもできなかったそうですが、先生が「君にしかできないことを探すことが大切だよ」と勇気づけ、それから実験することに興味を持ったのだそうです。黒柳徹子が、子供に接するときその一言がその子の人生を左右すると思って接してほしいと話していました。いい人に巡り会える人、そうではない人、それによってその後の人生がかわるのだと思います。
振り返って、ぼくも大学時代の一番の恩師であった病理学の教授の故石川栄世先生に、田舎から出てきたばかりの18歳のぼくに、「きみのような人が、慈恵医大の求めていた人であり、そのままの姿勢でいろんな勉強をしなさい。心の豊かないい医者になりなさい。」と言ってくださったことを思い出します。当時、ぼくは東京出身のスマートな同級生とは違って、田舎者まるだしで無邪気にいたずらばかりしていました。勉強もしないでラグビーと友達と飲んで語りあってという日々に明け暮れていました。おかげで1年留年しましたが、それでも先生は、君は素晴らしいと言い続けてくれました。凄く勇気をいただけましたし、ああ自分はこのままでいいんだと思いました。つらいことがあったときは、「人にだまされてもだます人間になってはいけない」と言ってくださったり、学生のときのぼくの宴会芸が大好きで、偉い人がいる前でも「にも、ペンギンさんやりなさい」とよく言われたものです。カリフォルニア生まれの先生は、ぼくのことを「にも」と呼んでいました。医師になるにあたり、なによりも人間形成を重視していて、「勉強は医者になったら一生するものだから、君のように学生時代は大い運動部に入って運動をして、いい仲間といい学生時代を過ごしなさい」とおっしゃっていたことをよく覚えています。自分も医者になって、後輩や学生を指導する立場になってからもこの姿勢は全く変わらず、おかげで素晴らしい後輩たちに恵まれました。いまでもその気持ちや姿勢はかわっていません。
しかし、石川先生に出会うには慈恵医大に入らなければ出会えなかったことを考えると、やはり小倉高校での3年間がいかにぼくの人生を導いてくれたのかと感じます。特にぼくの中では3年7組は凄かった。担任の野口悟先生も同級生たちもみんな凄かったです。前むきで、ばかなことをしても一切批判せず逆にみんなで一致団結して、とんでもないパワーのあるクラスになったと思います。先生も20代でまだ若くて、厳しかったけれど友達のような先生でした。今でもよく電話したり、九州に行った際にはお会いしたりしています。バンカラで泥臭い公立高校でしたが、ぼくには水を得た魚のような高校でした。そのおかげで慈恵医大に合格できたと言っても過言ではありません。その小倉高校にはいれたのも、明治学園中学校というカトリック系の進学校に受験してはいれたからで、感謝はしていますが、やはり、ぼくの気風には合わなかった気がします。高校受験でラ・サールや久留米附設という私立の進学校に落ちたことが今思えば好かったと思います。そのおかげで小倉高校に行けましたので。現在一番の親友になったよっちゃんも小倉高校を卒業していなければ会うことはなかったわけで、人生は偶然と必然で成り立っているのだなと思います。人生は本当にわかりませんね。しかし自分を変えていくのは自分一人の力ではなく、応援してくれる家族や仲間や恩師など人との出会いだと改めて感じました。いまのクリニックの仲間もそうですね。本当に感謝しています。開業してからいわきにこもってばかりであまりいろんな人に出会っていない気がします。元々好奇心旺盛なので、土日など時間をみつけていろんな人に出会い、ぼくもその人も成長できれば幸せだなと思います。
明日はクリニックで七夕イベントをします。いつもはバックミュージックにゴンチチを流していますが、明日はなんとなくこの時期にぼくが聴きたい音楽をわがままにセレクトして流したいと思います。久しぶりに昔よく聴いていたブラジル音楽を編集していて、サンバをやっている頃を思い出しました。1995年から浅草の仲見世バルバロスで約20年くらいスルドという大太鼓をたたかせてもらいました。リーダー(プレジデンチといいます)の故髙橋重雄さんのことが大好きでずっと大学病院勤務時代サンバをしていました。下町生まれのちゃきちゃきの江戸っ子気質で、先の石川先生や野口先生と同じくらい尊敬していました。YouTubeで当時の浅草サンバカーニバルでぼくが映っていたものがあったのでアップします。2007年のときのテーマが「音楽( https://www.youtube.com/watch?v=BVSVaNAVvW0 )」のときのもので、練習風景の右から2人目で斜めにシールを貼ったスルドをたたいているのがぼくです。このころはスルドの中でテルセイラという3番目のスルドをたたいていて、リズムは「ウッ ウドウッ ウドンドウッ ウドンドウドンドウドンドウドンドウ」という2拍子の間を埋めるリズムを刻んでいます。ウは左手、ドは右手です。あくまでイメージで書いているので何のこっちゃですよね。リーダーがこのころ病気で、痩せ細っていて、当時のことを思い出してしまいました。映像の浅草サンバカーニバルでは、先頭のコミサン・ジ・フレンチというダンサー集団の中のどこかに現在クリニックのホームページ担当のようじがいます。お互い体が細い頃でしたね。ぼくは27分15秒くらいに映っています。楽しそうにスルドをたたいています。17年前だから、ぼくは45歳くらいかな。みんな元気かなあ。もう一つ2006年のテーマが「ゲーム( https://www.youtube.com/watch?v=nnCVHgeWnSM&t=1s )」のときのものです。この年のパレードは今でもよく覚えていて、スルド隊も仲がよくてすごくまとまっていました。 ぼくの右隣の仲間を含めてスルド隊の2人が病気で鬼籍に入られています。改めて合掌します。ぼくは26分50秒くらいにちらっと映っています。元気にスルドをドカドカとたたいています。このころプロのドラマーの吉田豊さんにかわいがっていただいて、1999年から5年間ほどディズニーランドのイベントでもスルドをたたかせていただきました。1999年は開園15周年記念で、2日間大学病院を休んで、サンバでゲストをおもてなししました。ぼくは映っておりませんでしたが、そのときの映像がありました( https://www.youtube.com/watch?v=dz9Eizl4wNA )。8分30秒くらいにサンバのリズムが響いています。この年はカーニバルがテーマで、それでサンバ風にしたんじゃないかと思います。その年のカウントダウンパレードではミニーちゃんの山車の下段でスルドをたたかせてもらいました。映像がありました。顔ははっきりしませんが6分30秒くらいでスルドをたたいているのがぼくです( https://www.youtube.com/watch?v=hmuf0txYnwA )。この映像では7分45秒くらいにぼくの顔がわかります( https://www.youtube.com/watch?v=1afHfOMnijM )。楽しいいい経験をさせていただきました。ありがとうございました。いろんなつながりで、徳武さんのDr.Kプロジェクトのドラマーの三浦晃嗣さん( https://www.youtube.com/watch?v=ygRTwb4U8Hw )と出会って、一緒にサンバをやらせていただいたこともありました。ビシッとしたドラムをたたかれます。大好きなドラマーです。昔「ショーグン」でドラムをたたいていた方です。
いわきの松村総合病院に勤めるようになって、なかなか東京に戻れなくてバルバロスをやめました。その後バルバロスの仲間に手伝ってもらって「アカデミアサンバいわきベレーザ」を立ち上げて、開業するまでリーダー(プレジデンチ)をしていました。サンシャインマラソンでも応援ボランティアをしました。FMいわきに呼ばれてお話をしたときの音源がありました( https://www.youtube.com/watch?v=BzWVlQQnCY4 )。ひるちゃんは当時スルドと会計をしていました。一緒にFMいわきにいきました。小林克也さんにお願いして司会をやっていただいて、アリオスで何度か「いわきサンバカーニバル」もやりました。テレビ取材もありました( https://www.youtube.com/watch?v=L42aqkREM5M )。バルバロスだけではなく、ほかのチームの方にも手伝っていただいて盛大にやったことを思い出します。
ブラジルの大人気サンババンドで「モノブロコ(https://www.youtube.com/watch?v=DMa7qxpzH6o )」というチームがいます。彼らがアリオスに来たときには、ステージで一緒にスルドをたたかせていただきました。打ち上げではモノブロコのジレトールとチームTシャツ交換をして、サインしていただきました。そのときに、池袋でパレードやるから一緒にやらないかと声をかけていただき、サンシャイン通りでのパレードにいきなり参加させてもらいました。ほかの方たちは練習したそうですが、ぼくはいきなりの参加で直前の音合わせだけでしたがなんとなくリズムに合わせて楽しくたたいたのを覚えています。白いTシャツで赤いストラップでたたいています( https://www.youtube.com/watch?v=AjvhiBz4G4c )。2分30秒くらいに映っています。池袋でのパレードは短時間でしたがこんな感じでした( https://www.youtube.com/watch?v=AFA8r_Ao29U&t=391s )。直前のリズムの練習風景に背中のぼくが映っています。青いベレーザTシャツ、緑の半ズボン、頭に白いタオルを巻いて赤いストラップでスルドをたたいています( https://www.youtube.com/watch?v=WPzhPvZiCPM )。いまはベレーザをやめて施設ボランティアのみの「いわきサンバっぽい音楽隊POI」をのんびりとやっていますが、コロナの影響もあり、このところやっておりません。そろそろまたやりたいものです。
今、青森の友達のイベンターの斎藤さんから電話があり、明日ねぶたのうちわとか浴衣とかを送ってくれるとのことです。明日がクリニックの七夕でしたが、一歩間に合いませんでした。8月にも七夕イベントするのでその時に活用させていただこうと思います。ありがとうございます。
今日、外はめちゃくちゃ暑いみたいなので、一歩も出ないことにしました。何かあるもので食事をします。ジムは明日の朝行ってきます。
ではみなさん、熱中症に気をつけてね。
《さらに過去のひとりごとはこちらへ》
・2023年7月~2023年9月